海底のスカンジナビア号
過去の記事に取り上げたことのある沈没した『スカンジナビア』号が撮影された!
○最後の出航のとき
子供の寝顔をしみじみ見て想う幸せ。
産経新聞より
長野・トリノ「金」 障害者スキーの第一人者、井口深雪選手、引退決断
■数年後には失明…ラストW杯総合V目指す
長野と昨年のトリノのノルディックスキー視覚障害で金2、銀1のメダルを獲得した障害者スキーの第一人者、井口(旧姓・小林)深雪選手(33)が、今季限りでの引退を表明した。次期バンクーバーでもメダルの最有力候補だっただけに、突然の引退を惜しむ声は多い。しかし、彼女は決断した。数年後の失明前に「少しでも長く、いずれ生まれてくるわが子を見たい」。その思いからだった。
今季ワールドカップはすでに3勝、世界ランキング1位。絶好調だった井口選手が先月末、ワールドカップ第4戦スウェーデン大会終了後にホームページで引退を明らかにした。
井口選手は平成10年の長野パラリンピックで金メダル、トリノでもガイドの高校教諭、小林卓司さん(48)とのコンビでバイアスロン12・5キロで金、7・5キロで銀メダルを獲得。昨年夏には、筑波技術短大の同級生と結婚した。
足に古傷をもち、日常生活に支障はないが、競技を続けるなら手術が必要。井口選手は「そのつもりはないし、ガイドの小林先生が異動すれば今までのようにはいかない。きちんと区切りをつけたい」と話した。
バイアスロンで悲願のワールドカップ総合優勝を目指し、3月10日からカナダで最後の戦いに挑む。
◇
■光ある人生、わが子と歩む
昨年秋のこと。井口選手が所属する日立システムアンドサービス(東京)の荒井秀樹監督(52)と井口選手の結婚後の活動について話していた。
井口選手の結婚相手は米国で理学療法の研究中。当分は別居結婚と聞いていたのに、妙に荒井監督の歯切れが悪い。
「続けるのでしょう?」。不審に思い聞くと、荒井監督は一瞬沈黙し、そして吹っ切るようにこう言った。
「かわいいときの子供の顔を見たいじゃないですか」
井口選手は先天性網膜色素変性症。物の動きが多少分かる程度の弱視だ。今も「半透明の膜で一枚一枚覆われるように」(井口選手)症状が進み、40歳ごろにはまったく見えなくなると宣告されている。
井口選手は子供が大好き。もちろん、愛する人との間に子供が欲しい。そして、光が尽きる前に、かわいいわが子を1分1秒でも長く見て、胸に刻んでおきたいというのだ。
言葉に詰まった。引退は遠くないと確信した。
障害者スポーツは経済的に恵まれていない。井口選手も蓄えが尽きかける苦境を乗り切り競技を続けてきた。理解ある大企業が支援する今の境遇のありがたみは十分に分かっている。選手層が薄い障害者スキーで、トップ選手として若手を引っ張らねばならない責務も痛いほど感じている。
それでも、彼女は決断した。
「ずっとスキーにかかわってはいきたい。将来はクロスカントリースキーの魅力を伝えたい。子供を連れて行ってもいいですね」
引退後は、研究生活があと数年残るご主人と米アイオワ州で生活するという。
こんなこと、世間では言ってはいけない言葉だけどあえて言いたい。早くお子さんが授かりますように。そして少しでも長く、わが子の顔を愛(め)でられますように。(小川記代子)
八甲田山の雪崩事故について、死者を出してしまったガイドの人の責任が問われることになるのだろうが、もし自分がそのガイドの立場であったならどうしただろうかと考える。
実際に、雪崩の危険性を見極めて、日程を取りやめたガイドさんもいるし、安全なコースに変更したガイドさんもいたらしい。そういう正しい判断ができたガイドさんにはとても敬服する。
仏教では、事象を因と縁によって暴流(ぼうる)しているものとしてとらえ考えるから、一寸先に何が起きるかわからないものとして物事の成り行きを考えることになる。その智慧によって、ある程度は事故を予見して回避する判断ができるであろう。
しかし判断をぶれさせるのが「我(自我)」だ。自分本位の思慮、損得、甘え、怠け、油断、功名心などの邪な自我意識が、正しい判断をぶれさせてしまう。だから何事も「正しい」ことをするという事には、邪な自分に「ぶれない」ことなのである。仏教では「正」とは「無偏邪」と説く。
人生ではあらゆる場面で「正しい生き方」は問われる。
青森市の八甲田山系にある前嶽(1252メートル)北側斜面で14日に山スキーのツアー客ら10人が死傷した雪崩事故で、今回の雪崩現場の真上の斜面で2日前にも真新しい雪崩の跡が見つかり、ガイドとツアー客はこれを避けて滑走中に事故に遭ったことが、青森県警の調べでわかった。
ガイドからは「雪崩現場を避けて下の方で滑った」という内容の供述が出ているといい、県警は、雪崩が起きていたことを知りながらツアーを実施したガイドらの判断に問題がなかったかどうかについて、関係者から事情を聞くなどして調べている。
県警や関係者によると、12日に見つかった雪崩は、今回の事故があった斜面よりも山頂に近い場所で、同日に起きたとみられる。雪崩の規模は幅約20メートル、長さ約50メートルとみられ、今回の現場からは100~200メートル離れていた。県警によると、ツアー客は初心者と上級者が別々のグループを作り、この雪崩の現場を避けるようにして、初心者はやや離れた緩斜面を滑った。上級者は、雪崩現場に、より近い急斜面を滑走していて雪崩が起き、上級者を中心に巻き込まれたという。県警に対し、ガイドは「雪崩は想定できなかった」などと説明しているという。
一方、14日に現場コースでツアーを開催する予定だった別のグループのガイドは、「風が強く、雪崩が起きる危険性がある」と判断し、別のコースに変更していた。こうした状況から、県警は今回のルート選択に問題がなかったかどうかを調べている。
(2月15日14時38分 読売新聞)
僕は、ちょっぴり俳句をつくったりする。と言っても、町の俳句会に毎月課題として5句を投句する程度だ。忙しさにかまけて、俳句に対してもいいかげんなものだ。
だけど、『きっこの日記』で、俳人・住宅顕信を初めて知ってからは、僕も俳句に「いのち」をぶつけたいと思うようになった。『きっこの日記』では以前にも、俳人・松尾あつゆきを知って衝撃を受けたが、住宅顕信を知ったことは、それ以上の衝撃だ。
俳人・住宅顕信は、昭和36年生まれで、浄土真宗の僧侶になった。僕は、昭和37年生まれで、真宗の僧侶であり、俳句をしている。しかし、住宅顕信は25歳で死んだが、僕は今、生きている。
一応、俳句を嗜んでいるから、住宅顕信の句の俳句としての凄さがわかる。だから、顕信の句が胸に突き刺さる。深く深く突き刺さってくるのだ。
ああ、僕も自分の「いのち」を懸けて、「いのち」を詠んでみたいものだ…。
となり町の加西市に、本格手打ち讃岐うどんのお店『がいな製麺所』ができていて、ようやく行ってみました。さすがに日曜日とあって本場讃岐の有名店さながらの混み様。注文してから40分待ちました!(本場のように完全セルフにすればいいのになぁ)。
うちの家族みんな温かいお出し汁の「かけうどん」にしましたが、うどんのコシもしっかりして、お出しも美味しかったです。でも、たぶんここは特製しょうゆダシをぶっかける「生醤油うどん」が人気なのだと思います。
新宮さまの名前が決まった。皇室男子の名には「仁」がつくのが慣例になっているが、それは多分に、儒教の「仁」が引用されているのだと僕は考える。
儒教とは、孔子が「君主による治世のための思想」として体系化したものだ。孔子が最も重んじた思想は『仁』と『礼』である。「仁」は人と人が親しむという意味で、他者への親愛の情である。「礼」とは、「仁」の気持ちを形にしたものである。
また孔子は君子は仁者であるべきと説いた。「仁」の元になるものは「孝」である。子が父を敬う愛であり、人として最上の愛であるとする。だから君主は民の親であり、民は君主の子であるとする。だから皇室男子名の「仁」は君主を意味するものなのだろう。
日本における現代社会の荒廃振りを考えれば、孔子の治世思想がいかによく考えられたものであるかと感心する。しかし現実には、儒教は封建的な方向に偏ってしまい、日本では戦争にいたった天皇主義や現在の北朝鮮の独裁政治を生み出してしまった。
つまり儒教思想の欠点は、人間を上下関係によって捉えようとしたためであろう。しかし仏教思想は平等(共生)関係こそが人間の真実であるとする。
このところアレルギー鼻炎の薬を服用しているせいか、今日の法事でのお斎の際に飲んだビールでも結構酔ってしまい、夕方からウトウトとしていたところに電話があった。平素に何かと懇意にしていただいている住職さんからで、福崎駅の近所のお店にいるからちょっと来ないかという呼び出しであった。
そのお店『ARAKEN』さんは1年ほど前にできて、創作料理と美味しいお酒を出しているとの話は聞いた事があり、行ってみたかった。店舗デザインも今風でセンス良く、入ってみると落ち着ける雰囲気だ。住職のIさんご夫婦とご親類の女性の方がおられ、お仲間に入れて頂いた。料理はなかなか凝っていて珍しいものが取り入れられて美味かった。焼酎も美味しくすすみ、またまた飲みすぎてしまった。おかげさまで楽しいひとときを過ごさせて頂いた。
ところで、一緒させて頂いた女性は、姫路のFM局のパーソナリティーの方で、とても素敵な方であった。僕は、姫路にFM局があることさえ知らなかったので失礼してしまった。だけど、これからは聴きます。皆さんも聴いてね、『エフエムゲンキ』。
今年の8月31日に、プリンスホテル系列の二つのホテルが創業30年以上あった歴史を閉じた。僕の父はその二つのホテルで支配人をしていた時代があった。
そのひとつは、先日に全国ニュースでも取り上げられていた『スカンジナビア』という船のホテル。帰省したこの夏に、スカンジナビア号が外国に売られ日本を去るということを聞き、今は車椅子生活の父に、最期の姿を見せてあげたくて連れて行った。父は前のホテルから転勤してスカンジナビアで定年まで勤めた。僕の二歳年下の妹はこのスカンジナビアで結婚式を挙げた。定年後に数年して脳出血で倒れた父にとって、また家族にとっても、スカンジナビアは幸せな人生の思い出と重なり合うものだった。
だから、沈没したというニュースを朝刊で見たときは声をあげて驚いた。そして喪失感で胸が切なくなった。でも、妻曰く「日本を離れたくなかったんやわ…」の言葉に救われ、なんとなく伝説にもなりそうなスカンジナビアらしいロマンある最期のように思えてきた。
もうひとつのホテルは、僕が子供の頃に父が勤めていた「西熱海ホテル」だ。ここも8月31日に営業を終えた。僕は小さい頃、父の職場へよく行き、ホテルの色々な人にかわいがってもらった。母は美容院をしていた為、幼児の僕を預かって面倒をみてくれたおばちゃんは、ホテルの中に入っていたお寿司屋さんの大将の奥さんだ。ホテル専属のカメラマンには赤ちゃんの頃の写真をよく撮ってもらっている。毎年正月には懐石料理の板前さんがつくったお節の重箱が食べられた。ホテルのゲームコーナーや卓球も、まだ宿泊客がチェックインする前の昼間によく遊んだ。それでも一番思い出深いのは、熱海の花火大会をよく見に行ったことだなぁ、きれいだったなぁ。
でも、西熱海の思い出も小学4年生ごろまでで、それ以来行ったこともなく、大人になってから宿泊しとけばよかったと今更ながら後悔している。
どちらのホテルも、無くなることを惜しんでくれる人たち(①、②、③など)がいたことを思うと、ちょっと誇らしく思えてくる。また父の心情も少し心配する。
静岡の実家へ帰省してブログ休止中に、書きたかったことがあって、それは〝直木賞作家の坂東眞砂子さん「子猫殺し」告白、抗議殺到 〟というニュース記事を読んでのこと。
坂東氏の考え方にあきれると共に、抗議が殺到するだけ現代社会の人々の感覚はまだ健全性が残っているようで、ちょっと安心もできた。記事を読んだ際は、それ位のことを考えただけだった。
でも、その日の夕食でこんなことがあった。たまたまその日は、母親の慰安のために、大人3人と小学生の娘と姪を連れて、西伊豆・松崎に宿泊に来ていたのだが、夕食のメニューはやはり伊豆の海で獲れた活きのいい魚が多かった。しかし、子供2人にとっては全部の料理を食べきれなくて、焼き魚を2匹そのまま残してしまった。
僕はそれを見て、せっかく獲られた魚が食べられもせず捨てられてしまうと考えたら、なんとも申し訳なく思えた。それで娘には「せっかくのお魚のいのちを残しちゃいけない」と叱ったのだけれど、なにぶん娘は相当お腹が苦しいらしい。で、結局は僕が焼き魚3人分を食べることにした。
普段は僕だって食べ物を罪の意識などなく平気で粗末にしていることだろう。でもさ、なんかその時は粗末にできなかったんだよね、魚を獲った人間の罪業として。そして「子猫殺し」の記事も思い起こされた。
いのちを「いただきます」という「いのち」への謙虚な気持ちの感覚。いのちを粗末にすることへの申し訳ない気持ち。その「いのちの感覚」は、「いのち」をどう観ているかという「いのちの観点」の問題である。僕は仏教のおかげで「いのちの感覚」「いのちの観点」を持っていたことに今更ながら気づき感謝した。
子猫を平然と崖から放り捨てて殺すことができる観点と、獲ったいのちを平然と捨てることができる観点とは、共通しているところがある。それは仏教では「慢」という。
「子猫殺し」告白、抗議殺到 直木賞作家の坂東眞砂子さん
(産経08/24 )
仏領タヒチ島在住の直木賞作家、坂東眞砂子さん(48)が日本経済新聞に寄せたエッセーで、飼い猫が産んだ子猫を次々とがけ下に放り投げて殺していることを告白し、日経新聞社に抗議の声が殺到している。坂東さんは猫の避妊手術と子猫殺しについて「子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ」と同じレベルとの持論を展開しているが、動物愛護や生命の尊厳をめぐって論議を呼びそうだ。問題になっているのは日経新聞の18日付夕刊に掲載された「子猫殺し」と題したエッセー。「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」と書き出し、飼っている3匹の雌猫の子供が野良猫にならないよう、生まれるたびに自宅隣のがけ下に放り投げていると明かしている。
日本の動物愛護管理法では、猫などをみだりに殺した場合「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」を科すとされており、フランスの刑法でも違法だ。
日経新聞社には24日正午までに508件のメールと88件の電話が寄せられ、「不快だ」「理解に苦しむ」など、ほとんどが非難や抗議の内容という。
坂東さんは同社を通し「タヒチ島に住んで8年経つがこの間、人も動物も含めた意味で『生』、ひいては『死』を深く考えるようになった。『子猫殺し』はその線上にあるもの。動物にとって生きるとはなにかという姿勢から、私の考えを表明した」とコメント。
同社社長室は「原稿の内容は原則として筆者の自主性を尊重している。さまざまなご意見は真摯(しんし)に受け止めたい」としている。
坂東さんはホラー小説の第一人者で、平成9年に「山妣(やまはは)」で直木賞を受賞。映画「死国」「狗神」の原作者。
■愛猫家として知られるジャーナリストの江川紹子さんの話 「子猫が生まれないように避妊手術をすることと子猫の命を奪うことを同列に論じている板東さんの論理はおかしい。何が猫にとっての幸せかは猫でなければ分からない。突然殺されることに子猫は悲しんでいるはずだ。猫は野生動物とは違う。人間とのかかわりの中で生きてきた猫と、どう幸せに寄り添っていくかをもっと考えるべきだ」
靖国神社の拝殿にて参拝してから、靖国会館(靖国図書館である靖国偕行文庫がある)で無料接待の冷たい麦茶を頂いてから、いよいよ『遊就館』へ入ってみた。
明るい現代建築風の玄関ホールには、ゼロ戦や機関車、大砲が展示されている。
遊就館とは、一言で云えば「戦争博物館」だった。戊辰戦争から日清戦争や太平洋戦争までの日本がした全ての戦争についての展示がしてある。しかし、その全ては戦争の功績ばかり讃えており、略奪や虐殺などの戦争の悪罪の反省に関わる展示は皆無である。50分の映画もくり返し上映しているのだが、その映画の企画制作はなんと「日本会議」で、案の定、内容は日本がした戦争はいつも正義のためとか「自尊自衛」の戦いであったとしている。とにかく戦争に関しての展示が延々としてあり、全部見ていたら所要時間3時間以上かかるだろう。
靖国は、英霊は「国のためにいのちを捧げた」として讃えるのであるが、ほとんどの英霊とは、国家権力の圧力、国家神道の魔力によって、いのちを「捧げさせられた」「捧げさせられる状況に追い詰められた」というのが真実であろうに…。靖国神社は、国家の戦争責任を巧妙に誤魔化すトリック装置として造られた偽装神社なのだ。それがまた復活しようとしているのだ!
安くて一番お手ごろなお土産なら、えんぴつ50円、ボールペン75円。
この人の本も売っている。この人が次期総理になれば、日本は必ず戦争をする!
つまり、靖国参拝の意図は、靖国復活のためであり、日本が戦争をまた始めるためのブロローグなのである。
今月は暑さのために、ブログも休止状態になってしまった。暑熱の中では思考も停止状態となり、あの小泉首相の靖国参拝についても、「もう勝手にせぇっ!」って感じで、どうでもよくなってしまった程だ。
でも、先週に静岡県東部の実家へ帰省した際に、ついでに靖国神社へ行ってみた。以前から靖国問題を批判してはみても、実際には行ったことがなかった。でも、やはり批判するからには、ありのままを見て、その場の雰囲気から〝軍国主義の気色悪さ〟みたいなものを体験し、証明したいと思ったからだ。
で、実際に靖国神社へ行ってみたのだが、まず正直なところ雰囲気としては、世間で騒がれている所にしては、いたって普通の観光神社であった。参拝者の人出も、平日の昼間であったが、多くも少なくもない程度のもので、老若男女偏りなく様々。
都会の喧騒の中で、確かに名のとおり靖らぎの場所ではある。とはいえ、右翼の街宣車が音は静かにして一台いたし、警官もいるし、気は許せない感じはする。また参拝の案内板についても威圧的な感じがある。
参拝の仕方もあり、まず手を洗い口をすすいでから神門をくぐり、拝殿では①礼二回、②二回手を打ち、③礼一回の作法で参拝する。
そのお手本に
なるような人がいたので写真を撮ったら、守衛の人から「参拝しているところは撮ってはダメだから」と注意されてしまった。たしかに失礼になることだから素直に反省。
でも考えてみたら、ヤスクニでは合掌はしないんだな。僕も一応ヤスクニ式参拝を真似をしてやってみたけど、なんか照れくさい感がした。気合を入れなきゃできないな、この礼の仕方は。でも坊主頭のウヨっぽい若者は上手くキメていたけど。僕なりに最後は念仏で合掌もしてきた。
ここまでの雰囲気としては、別に〝軍国主義的気色悪さ〟はまったく無く、返って境内の所々にある家族や戦友による慰霊碑や記念樹などの想いを察する限り、戦死者への心情が篤く込められた聖地なのだと思う。
各師団の人たちによる桜の記念樹。
しかし、このあとの『遊就館』へ行くとヤスクニの本性が明かになった…、つづく。
昨日、娘が小学校のプールに行ったが、知っている女子が誰もいなくて、入らずに返ってきた。
今日は娘にせがまれてプールに連れて行ったが、だいぶ空いていた。しかし、監視員の人数は普段よりだいぶ多かったようだ。
四国旅行にした理由には、妻が「かずら橋」に行きたいというリクエストもあり、一泊目は『ホテル祖谷温泉』に宿泊。ここの露天風呂は、谷上のホテルからケーブルカーで谷底へ下って入るというのが特徴になる。だから早目にチェックインしたいと考え、カーナビを頼りにしてホテルへ向かった。
しかし、なかなか着かず時間は午後4時ごろになってしまい、天気は雨で薄暗くなってきた。険しい谷に沿う道路はほとんど対向車とすれ違いできない道の細いカーブの連続で、運転者は泣きたくなる。やっとカーナビの指す目的地まで着いたが、ホテルらしき建物どころか人家も何もない寂しい山中だ。ここから先は引き返すこともままならない位の細い山道だ。どうやらカーナビのデータが間違っていたらしい…。雨はますます激しくなってきた。夜になったら、真っ暗になる来た長道を戻ると考えると、とても不安になってきた。
幸いにも携帯はつながり(山中でもつながり本当に安堵した!)、ホテルに道を尋ねると、どうやら途中の分かれ道で反対方面に来てしまったらしく、そこまで戻れば大丈夫らしい。その分かれ道でもカーナビの指示通りに来たのに!
なんとかホテルに着くと、天気は晴れ、さっきの不安感はウソのようだった。フロントの人に言うと、よく場所が間違っているカーナビがあるという。
いま考えると、なんだかホラー映画の導入部のようなシチュエーションだったなぁ。
子供が夏休みなのだが、うちはお盆になると忙しいし、それがすんだら静岡県の親を見舞わなければならないので、今のうちに家族旅行を計画した。行き先はいろいろ迷った末に四国になった。僕は前々から、讃岐うどんの〝セルフ〟のお店にどうしても行きたい。どうやら8月には『UDON』という映画が上映され、たぶん再度、讃岐うどんブームがくると予見する。そうしたら人が殺到するだろうから、今のうちに行っておきたいと考えた。
で、いろいろ有名店を調べ、高速道の坂出インターから近くて、美味しそうなお店を決めた。それが『蒲生』さん!
で、場所がちょっとわかりずらかったが、見つけたー!着いたー!
到着時間は正午10分くらい前で、すいていた。だが、娘がオシッコへ行きたいというし、僕もセルフのシステムがいまいち不安で、娘がトイレを探しに行ってる間にちょっと様子を見ていた。そうしたらお昼正午になってしまい、そうしたら客がどんどん集まってきて、あっという間に見る見るうちに客が行列に並びだした。はっと吾に返った僕は急いで列の後ろに付いた。
讃岐うどんはお店によって、「釜たま」や「かけ」や「ぶっかけ」などが名物になるらしいが、『がもう』さんは、「かけ」も「ぶっかけ」も美味しいらしい。僕は普段なら冷たいぶっかけを食べるのだが、本日は小雨の天気でちょっと温いのが食べたくなったので、「大・冷」のうどん麺に「温い汁」の「かけ」にした。確かに、うどんはシコシコして、お汁はダシがよくきいて美味しかった。今度は冷たいのを試したい。
駐車場は割と広いし、入出も早いから結構止められる。ただ進入路が狭い。
うちの娘と妻は、「姫路こども劇場」という親子観劇の市民団体に二年程前から入っていて、ときどきお父さん券などもあり、今日はいっしょに行ってきました。僕としては、法話をわかり易く伝える参考になると思い、機会があったらなるべく観させてもらっています。この「こども劇場」は、毎度良い劇を企画してくれて、観終わったときはいつも充実感があり、幼児~小学生低学年ぐらいまでの親子には、情操面においてもすごくいいから超オススメです。
今日の講演は、『人形劇団ちんどん』による「だるまちゃんとかみなりちゃん」で、楽しみながらも演出に感心しながら観させてもらった。今回はうちが属するブロックがスタッフ当番らしく、娘と妻に連なって僕も片付けをお手伝いしてきたので、写真も撮らせてもらいました。
このたび古い納屋を建て直すために、収めていた物を整理することになった。古くて使わない物品は捨てることになるのだが、それでも骨董の価値がありそうな物品などは捨てるのを躊躇してしまう。骨董の価値といっても、専門家なら売れるかどうかで判断するのであろうが、たとえ売れなくても骨董のいい雰囲気を醸し出し、インテリアなどとして活かせる物もある。その目立てと活かすセンスがなかなか難しいものだ。
失敗談として、去年に庫裏屋根裏を整理した際には、布団や衣類などを入れる「長持(ながもち)」の処分について迷い、大きすぎるし置き場所や移動に大変だからという理由で、ついつい粗大ごみに出してしまった。その際も一応は親類の骨董品屋さんに尋ねたのだが、やはり売り物にはならないそうで引き取ってはくれなかったからだ。しかしその後、近江商人屋敷 を見学したときに「長持」を上手に使っているのを見て、やはり惜しいことをしたと後悔している。
そこでこの度は、よ~く考えて古い物を選別しようと考えた末に、その基準となるものをひとつ発見した。昔の古い民具などが、どうして温かみがあり骨董の味があるのか?それは丁寧に手間をかけられて作られた「手作り」だからである。その作った人の苦労や心意気や職人の誇りなどが形となったものだからである。そういう「人の心」が形になった物品は無にしてはいけない、大事にしなければいけない。
そういうことを僕なりに大発見したのだが、そういうことを思えるようになったのは、やはり仏法のおかげだと思う。
その僕的大発見の数日後、本屋でたまたま見た『柳宗悦の世界』というムックを見たら、そういうものを〝民藝〟というらしい。その上、柳宗悦は民藝理念の延長に仏教(真宗)と結びつき、逗留していた城端別院で『大無量寿経』第四願「無有好醜の願」から啓示を受け名著『美の法門』を御広敷の間にて一晩で書き上げたという。他にも師である鈴木大拙の影響から妙好人の研究などもあり柳宗悦は真宗とたいへん所縁のある人であった。
この番組は、本音トークが売り物な為、自主規制が強い関東局では流さないらしい。それだけ世の中の出来事の裏側、真相にふれる発言などが飛び出し、新聞や雑誌では書かれない情報なんかも知れたりするから、ついつい見てしまったりする。
㋅11日放送分は、▽暴走メディア…秋田“近所女”&報道の死▽オウム真理教…今も90%の闇▽愛国と憂国というトーク・テーマであったため、「人権」「宗教」「思想」というブディストとしては外せない関心事であり、けっこうハマって視聴した。
ダイジェスト的にあげておくと、▼「秋田小1男児殺害」「村上ファンド」などの事件のように、悪者を見つけ吊るし上げる「懲罰的報道」は世論の要望であり、必要悪との声もありますが?とのテーマにおいてメディアのモラルの低下が指摘されたトークの中で、それでもメディアがまず気を遣う団体は「宗教・在日・精神異常者」であること。(宮崎哲弥)▼カルト集団は必ずお金を吸い上げることが目的であること。カルトに騙されやすい人は理想主義者で善悪二極に物事を考えるひとが多い。(飯星景子)▼出演者に自分は宗教をもっているかの問いに、ただひとり宮崎哲弥だけが手を挙げ、仏教徒であることを名乗っていた。▼人間はなぜ宗教を求めるかの問いに、人間だけが死ぬことを知ってしまったから。(森達也)▼いつの時代も台頭する宗教は国家権力とぶつかることになるが、真宗はうまく折り合いをつけ共存した。(三宅久之)▼右翼団体一水会元代表の鈴木邦男がゲストであったが、現代の右傾化といわれる状況は本来の右翼のあり方とは違うと感じている。右翼も左翼も「話し合える人」と「話し合えない人」に分かれる。▼本当の右翼の愛国心は「愛」ではなく「恋」。(鈴木邦男)「愛は支配なのよ」(田嶋陽子)。「愛は仏教では煩悩になる」(宮崎哲弥)。だから「愛国心」はちょっとおかしいんだ!(辛坊治郎)
あまりに溜飲が下がる感で見終わったのでブログにも書いてしまったのだが、そもそも今回の番組を見始めたのは、森達也氏が出演していたからだ。
今、森達也氏は真宗関係では注目的人物であると言えよう。氏の洞察は、親鸞の「悪人正機」に通ずる深みを持っているからである。
その森達也氏の上映会&講演会が、7月15、16日に姫路文学館である。こりゃ行かねば!
村上世彰が逮捕前の会見で言っていた、「お金儲けは悪いことですか?」「みんな僕がめちゃくちゃ儲けたから嫌いなんでしょ」の発言が気にかかった。
お金を儲けること自体は悪くないけど、その儲け方と使い方については、人間としての善悪が問われるってことだろー。
お金って言うのは、人を回りまわって、みんながつながっている。
だから儲けるためには、ルールを破ってはいけないし、人に迷惑をかけてもいけないし、自分ひとりで溜め込んでもいけない。
お金の使い道にしても、低い方へ、世の中にたくさんいる苦しんでいる人を少しでも救うために、円満に回っていくように考え流さなければならない。
お金儲けして嫌われる人は、愛人を囲ったり、贅沢三昧して散財するからだ。それは人間として愚かでみっともなく世間から嫌悪される。対して、同じお金を儲けた人でも、世のため、人のために惜しげもなく差し出すことができる人は感謝され尊敬される。
世界一のお金持ちビル・ゲイツは、すでに310億ドルを「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」に提供、世界の最貧国の保健問題に資しており、その寛容の精神はタイム誌で2005年の「マン・オブ・ザ・イヤー」に指名されている。(引用PJニュース03月02日アメリカのスーパー・リッチの慈善活動)
お金は「愛」に替えることによって、世の中は円満になり、お金の真の役目は成就されるのだ。
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◎追加6月16日ダウジョーンズ記事
WSJ-ビル・ゲイツ氏、2年以内に第一線から引退、慈善活動に専念
ニューヨーク(ウォール・ストリート・ジャーナル) 米マイクロソフト(Nasdaq:MSFT) のビル・ゲイツ会長(50)は15日、2年以内に同社の第一線から退き、6年前に立ち上げた慈善団体「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金」の活動に専念するとの意向を表明した。同氏は会長職にはとどまるものの、ソフト開発の責任者としての業務は徐々に後任に引き継いでいくという。
ゲイツ氏は記者会見の席で、慈善団体での活動により多くの時間を費やすよう変え始めたいとコメント。ただ、「これは引退ではない。私の(人生の)優先順位の組み替えだ」と述べた。
脱メタボリック・シンドロームのために最近は自転車によく乗る。そうすると、クルマやバイクのスピードでは気づかなかった目線で見つけられるご縁がある。こんなところにこんなものがあったとかの発見などなど。今日は「ことば」に出会った。
それは、教会の掲示板。自転車でスーっと通り過ぎたときに、瞬間的にことばが目に入って、それに心を射止められた。すでに5メートルほど過ぎていたが、読み正すために自転車を引き返した。それは、旧約聖書の一説だった。
何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。
「自分の心を守れ」とは自分の真実の心であり、「命の源」とは、人間を人間足らしめる根源である人間性。僕は仏教とクロスオーバーさせてそう思うことができる。
世の中、人間性が失われた末の事件が次から次と起き、気が滅入ってくるのは僕だけではあるまい。人間性が失われたら、人は平気で人を傷つけ、平然となぶり殺すことをする。頻繁におきる殺人事件は、現代人の人間性の退行のように感じる。
仏教もキリスト教も、人間の真実の教えであり、その戒律とは、人を人間として保ち在らしめる型枠となるものである。
私たち現代人は、自分自身の「人間性の型枠」をメンテナンスする時期が来ている。
今日、小学一年の娘が歯科検診の結果の通知をもらってきたのだが、そこに「う歯・乳歯」のところに○印がついていた。それを見た妻が「う歯」という用語がわからなく、僕に尋ねてきたのだが僕だって初めて聞いたことばだ。たぶん虫歯のことだとは考えるが、一応親として子供が赤ちゃんのときから歯磨きには気をつけていたから、虫歯になったとは考えたくないという想いがある。
で、検索したらウィキペアにちゃんと書いてあった。やはり一般で言う虫歯だと。
でも、いつから虫歯のことを「う歯」って言うようになったんだ?
このところ世の中では、子が親を、もしくは親が子を殺してしまう事件が頻繁におきているが、この事象は社会の病状としては相当ヤバイ。マジでヤバイ社会的兆候である。
なぜなら、親子という血肉を分けたつながりの人を殺すという行為は、人間の心としては最も病んでいるからだ。 そもそも人間なんてものは放って置けば他人同士お互い殺しあうものなのだ。普遍宗教においては、そういう深い人間洞察によるがために、仏教は「慈悲」を、キリスト教は「博愛」を説き、共生の世界へと導く。
夫と妻は所詮他人であるからそれは止むを得ないが、自分の親または子を殺すということは、相当の罪悪人でもなかなかできるものではない。人間であるということは恩愛の情をもつ存在であるからだ。
親殺しは、小乗仏教では「五逆」(人間の最も重い五つの罪悪)のひとつである。また、精神心理学にアジャセ・コンプレックスなる用語を派出した『仏説観無量寿経』においても親殺しは究極的な悲劇のシチュエーションであり、人間として最も悶え苦しむ罪悪である。
孔子は、世の中を安泰に治めるための思想として儒教を完成させたが、儒教では人間にとって「慈愛」の最も強い関係は親子であるとし、その敬愛の実践を「孝行」として重んじ、その孝行の敬愛を他人へと実践することを「仁」とした。親子の孝行を人間の根本として、それにより人民を治め、国を治めることができた。それほど、人間関係の最小単位として親子の関係は根源的な人格基盤なのである。
だから、親子間の殺人が続発している現在の日本社会は相当病んでいる。親子の間(関係)においてさえ、人と人との間=人間(じんかん)が保てなくなっているのだから、他人同士においては益々殺人事件が急増していくことだろう。人がだんだん「人間」で無くなっていく…。
〝極東ブログ〟さんで知ったカルピス創業者・三島海雲のおはなし。あのカルピスの創業者は、大阪・箕面にある教学寺という浄土真宗(お西)のお寺の子息であったとは知らなかった。だから「カルピス」の名称も仏教に由来していたなんてオドロキ!
「カルピス」の”カル”は、牛乳に含まれるカルシウム、”ピス”はサンスクリット語で、仏教での五味の次位を表す”サルピス(熟酥=じゅくそ)”に由来します。本来は五味の最高位である”サルピルマンダ(醍醐味)”から、”カルピル”としたかったところですが、音声学の権威である山田耕筰やサンスクリットの権威である渡辺海旭に相談をし、歯切れが良く、言いやすい「カルピス」と命名しました。
仏教から生まれたカルピス、ブッディストの私は死ぬまで飲み続けます。
カルピス:乳酸菌の一種、アトピー症状の緩和効果を確認(毎日新聞2006年5月29日) 大手飲料メーカーのカルピスは29日、乳酸菌の一種「ラクトバチルス・アシドフィルスL-92株」に、アトピー性皮膚炎の症状を緩和する効果を確認したと発表した。試験した患者の9割が炎症やかゆみが減ったという。30日から東京都内で開かれる日本アレルギー学会で発表する。 同社の「健康・機能性食品開発研究所」と、愛知学泉大の鳥居新平教授らが共同研究した。昨年1年間で、アトピー性皮膚炎の子供20人(4~15歳)に毎日、菌で作った発酵乳をそれぞれ8週間飲ませて、症状の変化を調べた。
おなかに脂肪がたまる内臓脂肪症候群(メタボリック・シンドローム)の中高年が、予備軍も合わせ約2000万人に及ぶと厚生労働省が発表したが、僕もそのひとりでーす。それで、去年にパワーヨーガのDVDも買ったけど未だに見ていないし、シェイプアップを夢見るばかりで実行が伴わないトホホ。
だけど以前『ためしてガッテン』で放映されたが、内臓脂肪は、皮下脂肪に比べ減らしやすく、日常生活や通勤時間などをもちょっとした工夫して、歩いたり階段を使ったりするだけで、ウエストが細くなり、血糖値、中性脂肪値、血圧も正常化することができるらしい。これを聞いてガッテン!ガッテン!ということで、最近はなるべく歩いたり、おまいりに行くにも自転車に乗ったりしています。
今日はひさしぶりの爽やかないい天気ということで、おまいり先で教えてもらった姫路市安富町の「鹿が壷」へ午後からちょっと行ってきた。めざせウエスト10センチ減!
今日は姫路に用事があって出かけたのですが、暑いくらいのよいお天気でした。こういう日に姫路城の近くを通ると、ここのソフトクリームが食べたくなります。今日は時間がなかったので、ちょっと立ち寄り買って車中で食べたのですが、本当はここの二階は姫路城が真ん前にきれいに見えてグッドスポット。

Vert(ヴェール) 家老屋敷跡公園前にあり、2Fイートインスペース(カウンター5席、2席×2ほど)からは姫路城が綺麗に見える。店内禁煙。月水木土10:00-19:00、火金10:00-18:00、日曜定休。(転載http://www.ne.jp/asahi/earth/sea/diary/200411.html#20041122)


有機無農薬栽培の抹茶を使った無添加ソフトクリームとクッキーの取り合わせ。たしか、きな粉も入っていて、コクと深みがあっておいしい。※つくっている店主の方ももセレブ美人!

今年で第7回となりますが、今年初めて行ってみました。薫風爽やかなお城公園の中で、陶芸、木工、ガラス、織物、染め物などのクラフト作家がそれぞれ自分のテントを張って出店。なかなか楽しい催しだった。で、妻と娘はトンボ玉アクセサリ、私はこれをGET→
一本のロープを染色して切らずに鼻緒まで編んでいるワラジ。宝塚市・くらふと陶芸ぶんぶく製2000円。
それからこんなすばらしい木工作品もあった→
自殺する人が多いのは、それだけ自殺しようとする人を救おうとする人が少なくなっているということでもある。人とは、どんな苦しいときであっても、親身になって支えてくれる人さえあれば、なんとか生きていけるものだからだ。
お葬式を頼まれる立場の私も実際、家族がありながら自殺した中年男性の方の葬儀に関わることが昨今増えている。なぜ家族がありながらと当初は疑問にも思ったが、この前、知人の話を聞いてわかったことがある。中高生男女の子供三人の父親であるその人は、子供から「死ね」とか言われるらしい。子供がそんなことを言うのは奥さんの影響もある。家族を養うためにがんばっている父親なのに、そんなこと言われたら何のために生きているのかわからなくなってしまうではないか。
下記の記事では、格差社会が影響しているとの分析もあるが、勝ち組でも自殺するひとはあるであろうし、あながち格差社会で人が自殺するのでもなく、人間関係の最小単位である「家族」の中で自殺してしまうのであろう。
自殺者:8年連続で3万人超 「格差社会の影響」か(毎日新聞2006年5月10日) 国内の自殺者が8年連続で3万人を超えそうだ。自殺者は、国が自殺対策の参考としている警察庁の調べで、98年から04年まで7年連続で3万人以上を記録。05年は「自殺」の定義を警察庁より限定的にしている厚生労働省に、昨年11月までに前年比で423人多い2万8240人の報告があったことが判明。このため、厚労省より例年1000~2000人多くなる警察庁の統計では3万人を超すのはほぼ確実になった。「自殺数の増大は『格差社会の影響』」との専門家の指摘もあり、国の自殺対策が改めて問われそうだ。 警察庁は総人口(外国人も含む)を対象にし、遺体発見時に自殺、他殺、事故死などが不明でも、その後の調査で、自殺と判明した場合は計上。一方、厚労省は死亡診断書で自殺とされたケースに限定し対象も国内の日本人だけ。その結果、04年の自殺者は警察庁が3万2325人、厚労省は3万247人で約2000人少なかった。 政府は昨年12月、自殺予防の総合対策を発表。しかし、対策には法的根拠がないため、実体のない掛け声だけで終わりかねないとして、NPO法人が「自殺対策基本法」(仮称)制定に向けて、署名活動を始めている。 野田正彰・関西学院大教授(精神医学)は「自殺者の増大は格差社会の影響が大きい。勝ち組は弱者へのいたわりがなくなり、負け組とされる人たちは挫折感を強く感じさせられている。競争に勝つため、子どものころから相手に弱点を見せられず、本音が話せなくなり、人と人とのつながりが薄れている」と話している。※野田先生のコメントは精神医というより社会学者のものだね、紛らわしい。

昨日、仕掛けていた捕獲ケージでアライグマを捕まえました。しかし、10日ほど前に見たアライグマとは大きさや毛並みが違うようです。ここ一月位前から庫裏の屋根裏や壁のなかでゴソゴソ音がして何か動物の入り込んでいる気配があったので、もしかしたらイタチかもしれないと思っていましたが、やっぱり犯人はアライグマでした。
さっそく役場に連絡して引き取ってもらいました。4年前のときは、捕まえても放してしまいましたが、現在は全国的にもアライグマ被害が問題化していることにより、捕まえたものを放してはいけなくなったそうです(役場のひとから諸事情を教えてもらった結果、これ以上の事柄は伏せておきます)。※参考「外来生物法」
動物愛護の立場からは、アライグマを駆除する施策は批判されるようですが、しかし被害、危険性は重大であり、駆除することは止むを得ないと思う。批判するよりも、アライグマなどの野生動物はペットとして飼ってはいけないということを猛省しなければならない。ブディストとして不殺生の戒を破った僕も慙愧しなければならない。

今日は、ミャンマーに赴任していて一時帰国している人からお話をいろいろ聞いた。ミャンマーはいま「水かけ祭り」の最中らしい。ミャンマーという国は仏教国ですが、いまは軍事政権下にあります。仏教の教えが生活の根底に流れているようで、国民は軍事政権下で貧しいながらも、不平不満をもたず、平安に暮しているそうです。野良犬までものんびりとしているそうです。話を聞くにつれ、ブディストとしてとても魅力ある国でぜひ行ってみたくなったゼ。
ミャンマー問題で硬化も/19日からASEAN会議 四国新聞
【バンコク15日共同】東南アジア諸国連合(ASEAN)は19、20の両日、インドネシア・バリ島で非公式外相会議を開催、7月の外相会議、年末の首脳会議に向け、活動方針の大枠を協議する。今回の会議ではミャンマーの民主化や、昨年12月にマレーシアで初開催された東アジアサミットの新規参加国問題が主要議題となる。国際社会の批判が高まるミャンマー軍事政権に対しては、ASEAN内からも不満が噴出、同政権に対し姿勢を硬化させる可能性もある。会議では、ASEAN特使として3月下旬、ミャンマーを訪問した議長国マレーシアのサイドハミド外相が結果を報告する。しかし、同外相は自宅軟禁下にある民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんとの面会はできず「訪問は成果がなかった」(ASEAN関係者)とされている。
今日の午前中、僕はお葬式の時間に遅刻しそうでアセッていた。しかしこんな時に限ってガソリンメーターは〝E〟に差し掛かっていた。これでは目的地までの途中で給油しておかなければならない。しかし途中にあるガソリンスタンド(GS)はセルフだ。実は情けなくも僕はセルフでは一度しか入れたことがなくて、システムがまだよくわかんないです。でもセルフの看板が出ていてもお店のひとが入れてくれるところもありますよね。だからこのセルフGSでもお店の人に頼めば入れてくれるだろうと思ってはいったんです。そしたら70歳後半ぐらいのおジイさんのお店のひとが出てきてくれたので、「ああこの人に頼んで入れてもらおー」とちょっと安心したんです。で、「すみませーん、ちょっと急いでいるんでいけど、入れ方がわからないので入れてもらえませんか?」って聞いたんです。そしたらジイさん無表情に「機械の表示どうりにすればわかりますから」って言ってやってくれないんですよ。内心(エー!急いでんのに、冷たいナー)ってムッとしましたけど、「まず最初にお金入れて」って言われて「エッ、おつりでるんですかー?」って聞いたら「はい」って言うから千円札を入れていったんです。こっちは急いでるから機械に千円札入れるにもアセってすぐ入んないし、入っても表示されるのに遅くてイライラしてきてもう一枚入れて表示されるまでに、(こんなことあと3千円は入れるのかよっ!)って思ったら内心キレてしまい、「もういい、止める」って言って取り消しボタンを押したら、プリペイドカードが出てきやがんの。ジイさんも察して、「あー払い戻せますから」ってすぐにお金に戻してくれて、僕も大人げないと思い、いやーキレてないっすよって感じで、「いやーすみません、急いでいるものですからー」って言って即行出て、すぐ次の〝セルフじゃない〟GSに入りました。そこは若者2人がいてテキパキと給油と窓拭きしてくれて、こういうサービスがいかに有難いものかしみじみ思いましたよホント。あっ、だからサービスステーションって言うのか。
それにしても、もうセルフなんて絶対入ってやんないと俺は誓った。しかし、セルフGSが増えている原因は、原油価格の上昇で、経営上人件費をかけられないことがあるのだろう。その原油価格を吊り上げているのはヘッジファンドの連中だ。こいつらの富を増やすために、世界中の人々がえらい迷惑を蒙っている。
「原油高、需給で説明できず」・IEA月報 (日経ネット4/12)
主な石油消費国で構成する国際エネルギー機関(IEA)は12日発表した4月の石油市場月報で投機的な資金流入が強まっていることに警戒感を表明した。「石油製品の供給改善と需要の伸びの鈍化見通しという緩和要因にもかかわらず、市場は現実ではなく将来に焦点を当てている」と分析。IEA幹部は「史上最高値圏で推移する現状の原油価格は需給では説明できない」と強調している。
このたび在日韓国籍の家のお葬儀を依頼されお引き受けした。もちろん仏式でよいとのことだからだ。参列者たちのお焼香の姿を後ろから拝見して、僕はとてもとても感心した。みんな若い人も男も女も礼儀正しくて後ろ姿が美しいのだ。韓国は儒教の国で礼儀はきちんとしなければならない文化であることは知っていたが、実際やはり韓国の慣習を守るひとは礼儀正しくきちんとしていた。礼儀正しい姿がこうも美しく気持ちがよいものだとは初めて思い知ることができた。べつに特別な礼儀作法をしてた訳ではない、ただお焼香をして合掌しておじぎをしてただけなのにだ。いまの日本人はいい年をした大人でもまともにおじぎできない人ばかりだ。同じ所作をしても違うのは何故か。それは礼儀する心、精神が違うのだろう。韓国の人はしっかり心を尽くして礼をしている、だから美しい。日本人は形だけで心が入っていない、だからみっともない。つまり人を美しくみせるものは、礼儀なのだ!ファッションや化粧なんかではないのだ。礼儀はまた心、精神がありのままに姿形となって現れるものだ。醜い日本人と美しい韓国人の違いはそこだ。心、精神という人間性の成熟さの違いなのだろう。現代の韓国ブームの本質がそこにあるのだろう。人間性の幼稚な日本人は人間性の成熟した韓国人に魅かれているのだ。
正式な礼拝の仕方も見せてもらった。頭を下げている時間が長い。僕も茶道で真・行・草のおじぎの頭の下げ方を教わったが、一番丁寧な真のおじぎでも頭を下げている時間はだいたい3秒だが、韓国の礼拝は倍以上であった。しかもそれを2回する。見せてもらって、本当に心を尽くして礼拝していることがわかる姿であった。
聞けば、そういう礼儀は親だけから躾けられるというものでもなく、まわりの人から自然と教わるようらしい。儒教では年上の人は敬い、年下の人は面倒みるということを聞いたことがある。
しかし、そういう儒教的なよいところも、現代では在日の人よりも本国の方がだんだんと見失われ、在日の中でも若い人はだんだんと弱まる傾向があるらしい。
今朝のうんこには、ちょっとアセった。うんこに赤い血のようなものがまざっている…。しばしうんこを見て固まる。
だ、だ、大腸ガンか!思考はフル活動し、何秒か、いや何分か、不安を打ち消そうとあらゆる心当たりを思い起こそうとする。うん?前にも同じようにうんこを見て背筋が凍ったことがあったぞ。そう、あれは前夜の食事に、納豆にキムチをたっぷりまぜて食べたときだ!あのときの朝のうんこは、真っ赤っかで、身は凍りつき思わず死を覚悟したー!そうだそうだ落ち着け、よくよくうんこを見ろ、じっくり見ろ、考えろ、考えろ、昨日は何を食べた?う~ん、う~ん。あっ!犯人はアイツだ!これ。
このまえ近江八幡で買ってきた赤こんにゃく。まったく、なんちゅう人騒がせなコンニャクじゃー。
吉田兼好は『徒然草』の中で「死は前から来るのではなく、気がつけば後ろに来ている」ということを説いているが、まさにそういうものなのであろう。また正岡子規は『病牀六尺』で「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」と悟った。
悟った気でいた私は、うんこを診て死におびえていた、トホホ。
四月に小学校に入学する娘だが、今日はお友達のたっくんとお母さんが卒園式のDVDを観に遊びに来ていた。うちの娘とたっくんはこの前タマゴッチで通信して、この度あかちゃんが生まれたらしい。たっくんはうれしいらしく「ぼくとななちゃん(娘)にこどもができたー」とまわりの人に言うのだが、さすがにおかあさんも「そういう言い方はおかしいから、ちゃんとタマゴッチのこどもと言いなさい」とその都度言っているんだって。ハハハハハハ、、、、、娘の父としてはビミョーにフクザツ!?
○ご存知タマゴッチには「生死」が織り込まれている。それについて開発者の意図を知りたいのだが、誰か教えてくれませんか?
TV「報道2001」に藤原正彦が出ていたので見た。今よく新書が売れているし、チェック要れておこうかなと思っていたから。でも、とんでもないヒトでした。本買わなくてよかった。
このヒトは、皇室典範について、男系天皇であることは「伝統」なのだから、変えるなどという議論はそもそも言語道断であると言っていたが、その「伝統」の意味を単に「昔からしていること」という意味でしか理解していなくて、だからたとえそのものに何の価値がなくても昔から頭を下げていたものには頭を下げるのが当たり前というようなことを言っていた。「伝統」と「因習」の意味を恥ずかしくも勘違いしている。
「伝統」とは「精神」を伝え守ることであって、ただ形だけ意味もわからず真似るというのは「因習」というのだ。「伝統」とは時代が変っても、変えてはならない大切な「精神」を受け継ぐことだ。だから訳もわからず、ただ昔からしていることだからという理由だけで行う「因習」などは続ける必要はなく、むしろ破棄した方が後世のためになる。また伝え守らねばならない「精神」も健全なる精神でなければ「伝統」の価値はない。健全なる精神とは「人間の真実なる精神」である。仏教でいうところの「法」(ダルマ)。
だから皇室典範の問題でいえば、伝え守らねばならない「精神」とは〝天皇は国民の象徴として大切にする〟という「精神」であって、男系に固執することはない。そればかりか男系に固執するということは、男尊女卑の差別心が深層にあるはずであるから、それは不健全な精神である。
こんな「伝統」と「因習」の区別も理解できないのに思想を論ずる素養はない。おまけにこのヒトはこんな程度の国語力なのに国語についても本を出している。数学者なのに、なんかすっかり勘違いしてるよ。
そもそも国家の「品格」や個人の「人格」を教育で何とかしようと画策することが気色悪い。こういう概して右寄りのヒトたちの主張する憂国論は、高慢で稚拙である。
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