June 15, 2007
求法の旅人
日本人で初めてチベットに入った人物は、有名な河口慧海だと思っていたが、実はそれより先に実現していた二人の僧侶がいた。しかもそれは能海寛と寺本婉雅という浄土真宗大谷派の僧侶であった。(神戸新聞文化記事より)
河口は帰国後に冒険家としても脚光を浴びたが、それに対比して能海は念願の首都ラサに3度目挑んだ旅の途中に『不惜身命』の一文を遺し、消息を絶ってしまう。
命をかけて彼らが求めたものは何か。それはその明治時代の廃仏毀釈やキリスト教の影響など仏教の危機的状況の中で、既存の日本仏教を問い直し、仏教の原点に回帰しようと、チベット仏教によるインド直伝の仏教の経典を求めたのである。
現代の日本仏教の僧侶たちよ、「求法の旅人」の精神に目覚めよ。
November 22, 2006
教育基本法改悪反対
いま私たち国民は、ずるずると国家主義に飲み込まれようとしている。
教育基本法が改悪されることは、国家という巨大なガマガエルの口に、自分の身が半分飲み込まれるようなものだ。そうしたら必死に逃れようとしても、そのまま一気にズルっと飲み込まれてしまうだろう。
飲み込まれることは、国家統制されることを意味する。押し込められ、縛り付けられ、息苦しい毎日を送るはめになる。大事な人生を一生押さえつけられて生きるなんて、考えただけでぞっとする。
そうならない為には、飲み込まれるのをじっとしていてはならない。全身全力でもって抵抗し、そしたら今度はこっちが、ぬめっとしたガマガエル野郎を思いっきり蹴散らかしてやれ!
浄土真宗の歴史には、自分たちの自由を死守した「一向一揆」があった。もし現代において一揆を起こそうとするならば、もちろん非暴力でなければならないから「デモ」ということになるだろう。現代のブッディストたる真宗門徒よ、今こそ立ち上がる時ではないか?「平成の一向一揆」の時機ではないのか?下記の一揆を拡大しよう!
教育基本法改正:真宗遺族会の僧侶ら、改正に反対してデモ /広島
教育基本法改正案の衆院通過を受け、浄土真宗本願寺派の僧侶らでつくる「真宗遺族会」の県内のメンバーらが21日、同法の廃案を求めて中区本通などをデモ行進した。
デモには同派の僧侶と門徒約10人が参加。参加者らは「愛国心教育を徹底し、国のために命を投げ出すことに疑問を持たない子どもを作るものだ」などと批判。同会会員の小武正教僧侶(48)は「『宗教に関する一般的な教養』の尊重がうたわれている。『一般的』と言うが、法案が成立すれば靖国神社を肯定する教育を学校で教育する口実になる」と話し、現在の教育基本法の尊重を訴えた。
毎日新聞11月22日
November 08, 2006
俳人 住宅顕信
僕は、ちょっぴり俳句をつくったりする。と言っても、町の俳句会に毎月課題として5句を投句する程度だ。忙しさにかまけて、俳句に対してもいいかげんなものだ。
だけど、『きっこの日記』で、俳人・住宅顕信を初めて知ってからは、僕も俳句に「いのち」をぶつけたいと思うようになった。『きっこの日記』では以前にも、俳人・松尾あつゆきを知って衝撃を受けたが、住宅顕信を知ったことは、それ以上の衝撃だ。
俳人・住宅顕信は、昭和36年生まれで、浄土真宗の僧侶になった。僕は、昭和37年生まれで、真宗の僧侶であり、俳句をしている。しかし、住宅顕信は25歳で死んだが、僕は今、生きている。
一応、俳句を嗜んでいるから、住宅顕信の句の俳句としての凄さがわかる。だから、顕信の句が胸に突き刺さる。深く深く突き刺さってくるのだ。
ああ、僕も自分の「いのち」を懸けて、「いのち」を詠んでみたいものだ…。
June 17, 2006
『民藝』の目覚め
このたび古い納屋を建て直すために、収めていた物を整理することになった。古くて使わない物品は捨てることになるのだが、それでも骨董の価値がありそうな物品などは捨てるのを躊躇してしまう。骨董の価値といっても、専門家なら売れるかどうかで判断するのであろうが、たとえ売れなくても骨董のいい雰囲気を醸し出し、インテリアなどとして活かせる物もある。その目立てと活かすセンスがなかなか難しいものだ。
失敗談として、去年に庫裏屋根裏を整理した際には、布団や衣類などを入れる「長持(ながもち)」の処分について迷い、大きすぎるし置き場所や移動に大変だからという理由で、ついつい粗大ごみに出してしまった。その際も一応は親類の骨董品屋さんに尋ねたのだが、やはり売り物にはならないそうで引き取ってはくれなかったからだ。しかしその後、近江商人屋敷 を見学したときに「長持」を上手に使っているのを見て、やはり惜しいことをしたと後悔している。
そこでこの度は、よ~く考えて古い物を選別しようと考えた末に、その基準となるものをひとつ発見した。昔の古い民具などが、どうして温かみがあり骨董の味があるのか?それは丁寧に手間をかけられて作られた「手作り」だからである。その作った人の苦労や心意気や職人の誇りなどが形となったものだからである。そういう「人の心」が形になった物品は無にしてはいけない、大事にしなければいけない。
そういうことを僕なりに大発見したのだが、そういうことを思えるようになったのは、やはり仏法のおかげだと思う。
その僕的大発見の数日後、本屋でたまたま見た『柳宗悦の世界』というムックを見たら、そういうものを〝民藝〟というらしい。その上、柳宗悦は民藝理念の延長に仏教(真宗)と結びつき、逗留していた城端別院で『大無量寿経』第四願「無有好醜の願」から啓示を受け名著『美の法門』を御広敷の間にて一晩で書き上げたという。他にも師である鈴木大拙の影響から妙好人の研究などもあり柳宗悦は真宗とたいへん所縁のある人であった。
April 24, 2006
親鸞さんの勉強部屋? 東山・大谷本廟 謎の石窟

謎の石窟(せっくつ)は親鸞の学問部屋だった? 浄土真宗本願寺派の宗祖親鸞の墓所・大谷本廟(びょう)(京都市東山区)内にある石窟が、江戸時代には親鸞の「学室」として信仰の対象となっていたことが24日までに分かった。石窟の前で人々が合掌している挿絵や石窟の用途を記した史料が確認されたためで、同派は「真偽は不明」としながらも、付近に説明パネルを設置した。
石窟は境内のほぼ中央にあり、長さ約7メートル、最大幅2メートル、高さ約2メートル。地中に掘り込まれ、天井部は直径1-2メートルの石で覆われるなど古墳時代の横穴式石室に似る。
17世紀初め、大谷本廟が吉水(現在の知恩院付近)から移転、再興後しばらくして築造されたと推定され、一昨年行われた調査では、寺宝などの収蔵庫と見られていた。
しかし、1665(寛文5)年の京名所図絵「扶桑京華志」で、「石窟は親鸞の学室なり」との記述があることが判明。2年後に出た「京童跡追」にも同じような説明があり、門信徒が石窟に向かって手を合わせる様子が描かれた挿絵も見つかった。
石窟は親鸞が没して300年以上後に造られており、記述自体の信ぴょう性に疑問も残るが、同派は「江戸時代に石窟が信仰の対象となっていたことは確か。謎の多い石窟がここにある意味や昔の信仰の一面を知ってほしい」と説明する。
岡村喜史龍谷大助教授(中世日本史)は「江戸時代には、親鸞が法然から岩屋の中で念仏の教えを受けたという伝承もあり、宗祖が厳しい状況で苦労して教えを学んだという部分を、本廟を再興したばかりの教団が強調して布教に用いたのではないか」と話している。
(京都新聞) - 4月24日16時9分更新
March 30, 2006
March 28, 2006
お内仏ほおんこさん
例年二月に勤めているが、今年は寒かったし都合がつかなかったので三月も終わりになってしまった。
仏事とは色も形も見えはしない「敬う心・精神」が読経やお荘厳などの形になって表されるものだ。仏事という型に心・精神を注ぎ込むことである。それはまた、一人だけではなく、共なる願いのみんなの心・精神を一緒に注ぎ込むことでもある。報恩講は、親鸞聖人の御恩に報いるため、ありったけの心・精神を溢れさせるほど注ぎ込んで勤める仏事なのである。
今年の庫裏お内仏のほおんこさんは、報恩いたらぬ自分を懺悔するものになってしまった。にも係らず、4人の方がお参りして下さった。ほんとにありがたいことであります。なむあみだぶつ 合掌
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