Sさんというご門徒の方で、享年103歳の方が亡くなった。急逝といえる大往生であった。僕はその前日におまいりに行っており、容態が悪くなって救急車が呼ばれる直前にお会いしていた。
その際は、横臥した身を左右によじりながら苦しそうになさっていた。声をおかけしたら、一瞬ハッとなされ、僧侶の僕に一念合掌なされた。それから、また煩悶しながら、「屏風!屏風を持ってきてー」と家人に大きな声で訴えていらした。
僕はそのときは、そんなに重篤に思えず、また「屏風」の意味もはっきりとわからなかったため、背中を少し擦ってあげてから、その場を去ってしまった。しかし、その後すぐ救急車で運ばれ入院し次の日の夕方にご逝去なされた。
僕は、屏風の意味を、たしか浄土信仰の臨終の作法としてあったと思い、Sさんの家人や年長者に尋ねたが誰も存じなかったため、調べて確認してみたら、やっぱりあった。そういえば、近くに仏像も置かれていたことも思い出した。今になって考えれば、臨終の行儀として、僧侶・仏像・屏風が揃う。
Sさんは、仏教のについての知識・教養がある方だった。なにしろ、古くからある仏教雑誌『大法輪』を若いときから103歳で亡くなる現在まで購読していた程だ。
だから、Sさんが屏風をたてようとしたのは、やはり臨終の行儀であったのだと確信する。改めて、死を想い生を愛すことによって103歳まで生きられた方の、りっばな臨終であったと敬服いたします。
『東西の臨終行儀』より
道場の飾り方
道場とは、病室を修行の場にみたてての名前である。場所は西方浄土の方角にあたる「西日の当たるところがよいが、これが出来なければ僧坊、あるいは人の家に新しい物を敷き、屏風を立てて仕切とする。病人がいよいよの時は、座って西方に向かう。病人がふしている場合には、北枕にして表を西に向ける。」次に「三尺の阿弥陀像を用意する。病人の希望によっては他の仏像でも、絵像でもよい。この像を病人から五尺くらい離して置き、寝たままでもそれが見える所に置く。そして仏像の左手に五色(青黄赤白黒)の幡、または糸を取付け、その一方を病人の右手の指に掛け止める。」
このように、西方浄土から迎えにきた阿弥陀仏に、心ばかりでなく、五色の糸を通じて直接結ばれるようにする。「そして仏像の前に香を焚き、そして灯明をつける。また枕元には鳴らすための磬を置く。このように病人のために準備するものは、屏風(病人の見苦しいところを隠す)、肘かけ、きゅうす、手洗い、紙置きなどである。」
○現代人も、自分自身のみならず家族や大切な人の為にも、心安らかな臨終の迎え方として、『臨終行儀』は大いに参考になるので、心得ておいたら良いと思う。