周辺地域の大谷派寺院による組の教化事業として、去年の長島愛生園につづき今回は邑久光明園の交流会を訪問した。
ちょうど数日前には、NHKでハンセン病元患者の胎児標本問題を題材にした番組が放映されたが、ハンセン病問題は国家賠償によってもはや解決された問題なのでは決してなく、まだまだ済まされていない過去の重い罪業が様々取り残されている。
今回の訪問のように、ハンセン病元患者の方のお話を聞かせて頂く大切な意義は、ハンセン病に対する正しい知識を学び、誤った差別・偏見をなくすことにあるといえるが、ただそれだけではないはずだ。
僕はハンセン病元患者の方々に対しては、同じ人間としての「人生の行者」として敬い出会うことを大切にしている。
誰でも取り立てて問題のない平凡な人生ならば、さほど苦しむこともなくただ何となく生きることはできよう。しかし、もし人生においてひとたび何らかの問題が起こったときに、はたして生きる力を見失うことなく力強く人生を生きることができるだろうか。
不当な差別、過酷な偏見、いじめなどに遭わねばならないとき、突然の事故などで不条理に愛する者を奪われた深い悲しみの淵に落とされたとき、家族縁者のしがらみでどうするにも解決できない境遇などなど…そんな不当な、過酷な、不条理な、不幸な、悲惨な、そんな人生でなければならなかったときに、果たして自分は生きることを選び強く生きることができようか…。
「生きる」ということの「真実」はそこにあるはずだ。人間性の真実は、その生きることを選びとる力にあるはずだ。それゆえ人間は誰でも自分の人生をどう生きるかを問われる「人生の行者」なのである。
光明園を初めて訪問した人の第一の感想は「ここの方たちはみんな明るいので以外でした」というものが多い。僕など日常のちょっとしたことで落ち込んだり、腹を立てたり、その都度暗くなってしまう情けなさだ。無理に明るくしようにもできもしない。
だけど光明園の方々に対して単に「明るい」という形容はあまりに軽々しいだろう。その明るさとは、実は過酷な人生を成就した〝人間の輝き〟であるのだから。
だから、ハンセン病問題の過去の罪業を知ることは人間性の中に隠し持つ〝闇〟を知ることであり、元患者の方と出会うということは人間性の輝き=〝光〟に出会うことに他ならない。ハンセン病療養所訪問は人間性の奥深い〝闇〟と〝光〟を学ぶ場なのである。