2007年11月 6日 (火)

書写山円教寺の精進料理

 今月の句会は、姫路・書写山へ吟行。と言っても、お目当ては国重要文化財になっている寿量院という客殿で食べられる精進料理です。

Dsc_4796 襖絵も文化財級の古い広間で座り、書写塗りの膳でいたたきます。写真の他にも、焼き物や汁物やそばなどがまだ出まして、全部で品数が20種くらいでした。男の人でやっと食べきる位の量で、女の人には多すぎるそうです。

 でもどの料理もちょっと真似出来ないいい感じの味付けでさすがでした。その料理人の主人自ら部屋に来て、寿量院や書写塗りの歴史などのお話をしてくれます。今回は5千円のコースでしたが、次は1万円に挑戦したいものです。

※ただ足の悪い人には、だいぶ行きにくいところではありますのでご注意。

 

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2007年11月 3日 (土)

たたみのヘリ

 今日は、厳格だったTさんの法事だった。久しぶりに会った孫の男の子たちも、中学生だった子が高校生になり、腕白だった小学生も中学生になって、その成長振りに驚いた。何しろ太っていた子がスマートになっていたりして体型が変わるし、何よりも顔が変わるということにはホントびっくりした。

 もっと驚いて感心したことは、みんな礼儀正しくなっているということだ。お手伝いも言われなくても自分で進んでしていた。お勤めがすんで、親類の人たちがお墓参りに出かけると、座敷の座布団を片付け始めた。

 その際、高校生の子が、中学生の子に「○○(名前)、畳のへりを踏まない!」と注意していたのを聞いて、これまたホント驚いた!

 今時、「畳のへりを踏まない」など大人でも言わないし、それどころか踏んではいけないことすら知りもしない大人がほとんどの時代なのにだ。

 僕が驚いていると、「だっておじいちゃんがいつも言っていたことだから…」と教えてくれた。厳格だったけどよく孫の子守もしていたTさんの法事でそういうことを聞いて、僕は鼻の奥がツンとしてちょっと涙が出そうになった。

 Tさんの「心」「精神」は、お孫さんたちにしっかり受け継がれていることがよくわかる。そういう人間性を受け継がれた孫たちの姿は、人間として深い安堵のような感動がある。

 亡くなった人が仏様になるということは、そういうことだ。大切な「心」「精神」が、受け継がれ生きている人に作用するということが、仏さまのはたらきというものだ。そこに亡くなられた方を供養する意義がある。法事とは故人の「心」「精神」を確かめる機会なのである。

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2007年9月23日 (日)

モチフィーユ

Dsc02170  おまいり先の娘さんが東京に行かれたおみやけ゜をお茶菓子に出して頂き、手に取ると「モチフィーユ」という商品名。ん?お餅のミルフィーユなんやろか?

 で、一口食べたその瞬間、ん!こりゃ初めて食べる不思議な食感!!それでおいしい!!

 これは東京みやげとして、あの『東京ばな奈』を追い越す予感。

 

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2007年8月17日 (金)

歳をとる幸せ

 Kさん(60歳代女性)は、おまいりに行っても出かけていることが多く、ほとんどいつも旦那さんが応対してくれる。それほど活動的な生活を送っているということだ。

 Kさんは実は十五年位前に胃がんの手術をして胃を2/3切除している。本当はその時に死んでいたかもしれないから、今の人生は得をしているように思っているのだと以前に聞いた事がある。 

 先日のお盆参りの際は、こうおっしゃった。「普通は女の人はよく歳を取りたくないと言うけれども、私は歳をとることが嬉しいと思うのよ!」と言われた。

 そうだよなぁ、本当は歳をとることは生かされている歓びなのだなぁ。忘れてしまっていた大切なことを気づかされた一言であった。

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2007年8月10日 (金)

ノドボトケ

 半年前に夫を亡くなされた80近いお歳のKさんは、夫の臨終の時にそのノドボトケをじぃぃぃぃーっと見ていたのだそうだ。そうしたら亡くなるその時に、ノドボトケはすぅぅーっと消えるように無くなっていったとおっしゃいます。

 そもそも、なんでノドボトケを凝視していたのか?など僕は疑問にも思いませんでしたけれど、お話を聞いているうちに理解できました。

 Kさんは幼い頃、祖母が危篤の際に、付き添いの母親がちょっと用事で離れる間だけ、祖母の様子を見ているように言われて、ひとりで見ていたところ、そのまま亡くなってしまったのだそうだ。そしてそのとき、祖母のノドボトケが「ボッコン!」という音がして引っ込んだのを見たのだそうだ。

 幼なかったKさんにとっては、さぞや衝撃的な場面であろう。それがそのまま80歳近くなる現在まで脳裏から離れない記憶となっているのだろう。両親の死に目にも会うことができなかったから、大人になって臨終に立ち会うのは、祖母の時以来が夫になった。

 それにしても、Kさんが今回ノドボトケを凝視していた理由は、もう一度〝あの記憶〟を確かめたい気持ちがあったのだろうか。それとも夫の臨終をしっかりと見届けようという気持ちだったのだろうか。

 ちなみに一緒にいた娘さんは、じぃーっと見てばかりいるお母さんを不思議に思いながら、お父さんの足ばかり擦っていたのだという。

 

 

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2007年7月29日 (日)

鳩もち

46  おまいりの後のお茶菓子に出していただいた「鳩餅」。酷暑日だった昨日に京都のお寺巡りに行かれたとのこと。どこも空いていたという。

 鳩もちとは、三宅八幡宮の名物菓子なのだそうだ。作っているお店は二種類あるそうだが、今日のは三宅八幡茶屋さんで販売のもの。でも製造は聖護院八ツ橋総本店なのだそうだ。

 ほんのり、ニッキが効いた「しんこ」で、夏場でも美味しくいただける。うん、こりゃおいしいワ。見た目もカワイイし。

 

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2007年7月21日 (土)

みそまん

Dsc02053  静岡・奥浜名湖の名物「みそまん(味噌まんじゅう)」。とりわけ「紅屋のみそまん」は予約しないとなかなか買えないらしいのに、有り難くも戴きました。

 さすが、こりゃおいしい!もちもちした黒糖まんじゅうで、この柔かさは他にない感じです。ついついパクパク。

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2007年7月16日 (月)

サクランボ

 Kさんは現在90歳くらいのおばあさんなのだが、30年位前より失明しており、お世話する娘さんとマンションで2人暮らししている。

 やはりと言ってはなんだが、好きなものを食べることがKさんの楽しみであり、長寿の元となっているようだ。それでも最近は米飯をあまり食べられなくなったそうで、その分よく果物を食べるのだそうだ。今の時季ならメロンとかサクランボなどを、目の見えないKさんの為に、娘さんが食べやすいようにカットしてあげている。サクランボなどは痛んでいる部分を切り取ってあげたりするのだそうだ。そういうお話を聞かせてもらって、娘さんがおかあさんを大切になさっている気持ちがよくわかった。

 そうして、僕は家に帰ったら、今日は家にもサクランボがあった。娘といっしょに食べていて気がついたのだが、サクランボって結構少しずつ痛んでいる部分があるものだ。

 「ああ、こういう細かい部分を一粒一粒見て、果物ナイフで切りとってあげているのだなぁ」ってしみじみ想って、改めて娘さんのお世話の篤さに気づき感心した。

 

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2007年7月 8日 (日)

挽茶羊羹「日本壱」

 おまいりに行くと、珍しかったり美味しいお茶菓子を出してもらったりして、誠に有り難いことです。その中でも「ん!こりゃおいしい!!」級のものをご紹介する新シリーズ。

 静岡県島田市金谷 ㈱河崎菓子本店の小口切りサイズの挽茶羊羹、その名も『日本壱』。

Dsc02057 牧の原のお茶の風味が格段良くおいしかったのだ。

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2007年6月24日 (日)

森達也講演会

Dsc_3654  組の教化事業として森達也氏の講演会(6/23於姫路・西勝寺)が催された。講演の要約については氏の著書を読んで頂いた方が良いので記載は控えさせていただくが、ドキュメンタリー作家としての洞察眼はさすがプロだなと感心した。

 以下は講演を聞いての私流の了解。

 善悪を短絡的に二分化して結論づけることにより、現代人は人間・事象の真実を見失ってしまう。

 悪に対する不安は、雪ダルマ式に大きくなり、不信から始まって過剰防衛、そこからさらに先制攻撃へと無自覚にエスカレートしてしまう。現代の戦争から社会問題化するいじめ問題までその構造は同じものである。現代人は不安だから攻撃して安心を得ようとするのだ。

 本当は人間はそれほど悪い存在ではない。相手のことを多面的に見て知ることにより同情なり赦しなり和解なりも生まれ、そこから人間への慈愛の世界は開かれる。

 実は、そのような善悪を超えた人間性の真実を明らかにしたのが親鸞の功績なのである。

 善悪とは「倫理」というものだが、その倫理(人間)をも超越したところに仏教(真実)はあるということの気づきは、倫理が多様に問われる現代においては、大きく深く見直されるべきことである。例えば、死刑問題のような善悪を深く問うときに…。

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2007年6月23日 (土)

天秤棒

 Oさんと先日NHKで放映された『その時、歴史が動いた 蓮如』を見たという話をしていたら、「山科本願寺の土塁のように、昔の人はどうやってあんなすごいものを造ることができたのだろうか?」という話題から、「昔は天秤棒で土砂などを運んだものだ」という話になった。例えば田んぼの水路としての川に大雨で土砂が流れ込んだ際には、土砂を天秤棒で運搬し山に戻したのだという。シャベルカーもダンプもなかった時代に、人力でお城の巨大な石垣なども築かれたのだから、現代人からすると昔の人の身体力は驚異的だ。

 天秤棒はなかなか便利な道具であるらしく、Oさんは最近欲しくてあちこちお店を探したらしいが今はもうどこにも置いていないという。でも昔は駅前に天秤棒を作って売る「棒屋」がちゃんとあったのだそうだ。

 今でも古い農家のお家などには天秤棒があるかもしれないから、その都度尋ねてみたいと思う。

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コーリャン飯

 戦時中に中学生だったKさんは学徒動員で姫路の火薬工場で働かされていた。その時には朝鮮人労働者も多勢いたのだという。そのせいか支給されるご飯もキムチとか朝鮮の食べ物を出されたそうだが、中でも「コーリャン飯」がとてもおいしかったのだと言う。

 僕はコーリャン飯なるものがどのような食べ物か知らなくてグーグルしてみると、出てくる検索にはどれも不味くて食べられなかったとある。戦時中の食べ物が無く飢えている状態であっても不味くて喉を通らなかったほどのようだ。

 「そりゃもう旨かったんやー」というKさんの話とはだいぶ違うのだが、とういうことだろう?炊き方か食べ方によって美味しさが変るのだろうか?それともKさんの個人的な好みだったのだろうか?

 機会があれば僕も試食してみたいものだ。 

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2007年6月22日 (金)

コムスンの影響

 介護のヘルパーをなさっているKさんがこのところずっと忙しいとおっしゃった。やはり例のコムスンの影響である。姫路のコムスンでは、世間で騒がれる前の、三月頃からすでに介護の申し込みを受け付けなくなっていたという。だからその頃からずっと今でもKさんたちは忙しい状態なのだという。

 コムスンのヘルパーさんは営業のノルマもあったという。そのためにその場に付き添わねばならない介護時間中であっても、空いた時間ができれば、新規開拓のためにその場を離れるようなこともあったらしい。報道されたコムスンによる訪問介護中の3歳児が容体に気づかされずに死亡した事故はそういう背景もあるらしい。

 また行政の検査も厳しくなったため、ヘルパーさんの研修も度々あり、業務日誌の書き方などについても細々と注意しなければならなくなったらしい。例えば、以前は「介護者とお話した」などと書いていたのが、「お話した」は介護サービスではないから日誌に書いてはいけなくなったのだという。だけど、たぶん介護者は会話の中に本当の安らぎを感じているはずだ。

 日本の介護制度はまだまだ過渡期であるのだが、そもそも人間性の真実は〝無償の慈愛〟であることに立ち返る必要もあるのではないか。

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2007年6月21日 (木)

継母

 Uさんのお家のおまいりが明日から今日になった。明日は奥さんのお母さんの卆寿のお祝いで出かけるためとのこと。

 お勤めの後で僕が「長寿のお祝いは、お年寄りを大事にされた証であり、ご本人自身も自分の命を大事にされた証ですよね。」と話を振り向けると、奥さんは開口一番「でも本当のお母さんではないんだけれどね。」とおっしゃったから、ちょっと意表を突かれた。

 奥さんは小学校2年生の時に実母をガンで亡くし、中学校2年の時にお父さんが再婚したのだそうだ。そして新しいお母さんが来てくれた時はとてもとてもうれしかったという。

 世間では継母と聞くと、ちゃんと子供が優しくして貰っているかとか何かと心配されるものだが、実際に、僕もおまいり先で継母に育てられた方のお話を聞かせてもらうと、連れ子の兄弟と分け隔てされたり、冷たくされたということがあるようだ。

 そういうことを訪ねると、そういうことはなかったけれど、そうやって周りからいつも心配されること自体がとても嫌なものであったという。それでU奥さんも気を遣いながら仲良くしていたところもあったらしく、中学生で思春期の頃でもあり、高校へは行かず就職して家を出たのだという。

 実の親子でさえ円満で幸せな家族であることは難しい世の中である。何はともあれ、こうして家族が卆寿を迎えることができ、家族として円満にお祝いをできるということは、感謝すべきとても有り難いことでありましょう。

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2007年6月19日 (火)

沖縄戦

 Yさんのお兄さんは62年前の今日6月19日に沖縄戦で戦没された。沖縄戦は6月23日に戦闘が終了したから、まさに最終局面での玉砕であったのだろう。

 約30年前に郡の遺族会の旅行で、Yさんは今は亡き母親と共に沖縄に慰霊に行かれたそうだ。その際、息子さんが亡くなった壕の手前に来たら、お母様は足がすくんでしまい、腰が抜けたようにその場から一歩も動けなくなってしまったという。その後の行程はYさんがお母さんを背負って移動されたらしい。

 その話を聞かせてもらい僕は涙がでそうになった。戦争を知らない世代の僕は、戦争で息子を亡くした母親の心情がそれほどに悲痛なものであることを、初めて実感することができた。

 戦争の悲惨さは想像を絶する地獄なのである。その地獄は愚かな人間によって引き起こされる。わが子を戦場で殺される戦争にいかなる正義もない。

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2007年6月 5日 (火)

三隣亡

 今月のお寺の句会に「ん?」という投句があった。

 「三隣亡(さんりんぼう) 雨の朝(あした)の 青嵐」

という句なのですが、僕はこの「三隣亡」がわからなかったのです。

 辞書等で調べると→ココ(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)、暦の迷信の一つで「この日に建前などをすると隣三件が火事で亡びる」ということから、建築関係の人は気を付けるらしい。

 お年寄りなどに尋ねると大概知っているようですが、でも大安とか仏滅とかの六曜の中の一つだと勘違いしているようです。

 何故このような馬鹿げた迷信が生まれるのか不思議に思いますが、このような様々な迷信が生まれる心の元には、たぶんに人が抱く人生への不安・恐れが生み出すのでしょう。面白いのは、この三隣亡のように、わざわざ忌み日を作り出してまで気休めの安心を得ようとする人の愚かさです。細木ナントカなどの占いも所詮同じようなものです。

 仏教によって、本当の安心、真実の安心を得ることがない限り、人は愚かな迷信に囚われ続けることでしょう。

 

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2007年6月 1日 (金)

美容院

 今日、命日のおまいりをしたIさんは70歳代で亡くなるまで自宅で美容院をなさっていた。美容師組合から在職50年の表彰も受けられている。二、三年前にボイラー関係の仕事をしている人に聞いたら、いまは美容院のオープンが多くて忙しいのだが、だけどすぐに潰れてしまうお店も多いとも言っていたことを思い出すと、美容院を50年も続けられたことは、やはり表彰に値する技術と人柄があってのことだと感心する。

 昔の時代は美容院もあまりなく、だからお客さんがたくさん来ていつも混むほどだったそうだ。お弁当持参で来ていたお客さんもいて、お店の中で食べている光景もよく見られたという。実はうちの義母も結婚式の着付けをここでしてもらっている。だからたぶん町の女性でIさんに花嫁着付けをしてもらった人は相当の数なのではないかと思う。そして多くの家族の人生の門出を祝う大事な役目をなさった功績はとてもすばらしいと思う。

  

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2007年5月31日 (木)

邑久光明園訪問② 納骨堂の内部

 今回の訪問では、納骨堂の中も見せていただきました。実は、僕の不意なお願いに快く応えてくれたのですが、なぜそんな不謹慎ともとられることをお願いしたかというと、納骨されている方々について直に感じてみたい気持ちがあってのことです。

 国立の療養所でありながら、納骨堂があることの意味をご存知でしょうか。ハンセン病の方に対する差別・偏見のために、お骨になっても故郷へ帰ることを拒絶されてしまうことの象徴が納骨堂なのです。

 内部には、宗教の関係なくたくさんの小さな骨壷が美しく納められており、深い安らぎを感じさせる空間でありました。(※不謹慎であることを深く懺悔しつつ、ハンセン病差別の資料として写真撮影をさせて頂きました。)Dsc02027

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邑久光明園訪問① 意義

Dsc01999  周辺地域の大谷派寺院による組の教化事業として、去年の長島愛生園につづき今回は邑久光明園の交流会を訪問した。

 ちょうど数日前には、NHKでハンセン病元患者の胎児標本問題を題材にした番組が放映されたが、ハンセン病問題は国家賠償によってもはや解決された問題なのでは決してなく、まだまだ済まされていない過去の重い罪業が様々取り残されている。

 今回の訪問のように、ハンセン病元患者の方のお話を聞かせて頂く大切な意義は、ハンセン病に対する正しい知識を学び、誤った差別・偏見をなくすことにあるといえるが、ただそれだけではないはずだ。

 僕はハンセン病元患者の方々に対しては、同じ人間としての「人生の行者」として敬い出会うことを大切にしている。

 誰でも取り立てて問題のない平凡な人生ならば、さほど苦しむこともなくただ何となく生きることはできよう。しかし、もし人生においてひとたび何らかの問題が起こったときに、はたして生きる力を見失うことなく力強く人生を生きることができるだろうか。

 不当な差別、過酷な偏見、いじめなどに遭わねばならないとき、突然の事故などで不条理に愛する者を奪われた深い悲しみの淵に落とされたとき、家族縁者のしがらみでどうするにも解決できない境遇などなど…そんな不当な、過酷な、不条理な、不幸な、悲惨な、そんな人生でなければならなかったときに、果たして自分は生きることを選び強く生きることができようか…。

 「生きる」ということの「真実」はそこにあるはずだ。人間性の真実は、その生きることを選びとる力にあるはずだ。それゆえ人間は誰でも自分の人生をどう生きるかを問われる「人生の行者」なのである。

 光明園を初めて訪問した人の第一の感想は「ここの方たちはみんな明るいので以外でした」というものが多い。僕など日常のちょっとしたことで落ち込んだり、腹を立てたり、その都度暗くなってしまう情けなさだ。無理に明るくしようにもできもしない。

 だけど光明園の方々に対して単に「明るい」という形容はあまりに軽々しいだろう。その明るさとは、実は過酷な人生を成就した〝人間の輝き〟であるのだから。

 だから、ハンセン病問題の過去の罪業を知ることは人間性の中に隠し持つ〝闇〟を知ることであり、元患者の方と出会うということは人間性の輝き=〝光〟に出会うことに他ならない。ハンセン病療養所訪問は人間性の奥深い〝闇〟と〝光〟を学ぶ場なのである。

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2007年5月28日 (月)

ビール

 月忌まいりしているSさんのお家は、交通事故で20歳代で亡くした息子さんの命日に参っている。仏前にはいつもタバコと缶ビールが供えられている。その缶ビールについて最近になって気がついたのだが、毎月いつも新発売になったビールなのである。ということは、それだけビールメーカーも各社新製品をしょっちゅう出しているということである。

 Sさんの主人はビール党のようだし、供えた後は自分が飲むのであろうから、試飲の愉しみもあるのだろう。そして亡き息子と晩酌している気持ちもあるかもしれない。

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